ご飯と睡眠と無敵の7人

楽しいこと以外お断り

ジャニオタをやめることをやめた話


おかしい。
おかしなことがおきている。なぜ私は今ブログを書いているのだろう。そもそも、なぜはてなを始めているのだろう。予定では、今頃ジャニーズから足を洗って、流行りの俳優をみてキャーキャー言っているはずだった。おしゃれなカフェでパンケーキの写真を撮りInstagramに投稿しているはずだった。自分への投資を我慢して自担へ全てを捧げる生活はやめるはずだった。





どうも、ジャニオタをやめるのをやめた女です。




ツアーで最後にしようって思っていたけどやっぱり無理!好きなんだもん!オタク楽しいんだもん!みんなに宣言したこと後悔したくらい楽しいんだもん!死ぬまでオタクしてやるぞ〜!!!

と、まぁそんな気持ちなのである。もちろん生半可な気持ちで「オタ卒する」と言っていたわけではない。私は本気でオタ卒しようと思っていたし、すでに半分以上オタ卒していたと言っても過言ではない。


そもそもなぜオタ卒しようとしたのか。オタ卒を考え始めた少し前のことから振り返ってみる。




  • バリハピ発売

チューリップと風車の国を彷彿させ、1度きけば頭から離れなくなる曲調のこの歌は、たくさんの音楽番組で披露された。ニコニコと平和をうたうジャニーズWESTはとても微笑ましかった。夜な夜な録画を見ては「どうしよう可愛い。天使の集まりだ。彼らが本気を出せば戦争はなくなるぞ」と慄く日々を送っていた。
要するに、このころはオタ卒する気なんてサラサラない。普段家に引きこもっている私だが、炎天下のなかCDを取りに行ったのを覚えている。今思えばバリハピの時の自担のビジュアルは、あまり好きではない。いや、全く好きではない。しかし、それも今思えばのこと。あの当時は「いいんだよいいんだよ。みんなとバリバリハッピーに踊ってくれればいいんだよ。」と甘やかしていたに違いない。
昔から自担に甘いタイプなのだ。




  • 一発めぇぇぇぇぇぇぇ発売
  • ツアー発表
待望のコンサートDVD発売。あんなにかっこいい集団がこの世にいること、そして実際にあの人達に会ったんだという感動から、テレビの前で正座しながら見た。家族に気持ち悪いと言われようが、私はやめなかったし、そこからのツアー発表で「どうしよう…。彼ら私に求婚してる…そうとしか考えられない…!!!」という言葉さえ発した。いつでもどこでも気持ち悪いオタクでごめんね…。ツアーで久しぶりに彼らに会えるという喜びと果たして当選するのかという不安。ジャニオタならではのなんとも言えない感情にぞくぞくしていた。
もちろんこれからもジャニオタでいる気満々だ。




この辺りから今までとは少し変わってきたような気がする。色々あり私自身が忙しくなったため、彼らを見る時間が極端に減ったのだ。関東に住んでいるため、関西ローカルのみの番組は、時間のあるときにTwitter等で情報を得る生活を送っていた。しかし、その生活どころか、唯一見れる少クラやリトラまでも見れないほど多忙な日々を送っていたのである。無論、大阪マラソンの情報も全くついていけなかった。「淳太くんと濵ちゃんと神ちゃんが走る」程の情報しか知らず、いつの間にか完走していた。そんな感じだった。ファンの方々が「感動した」「すごい」などと言っている中、私はその話に入ることはできなかった。
“蚊帳の外”とはまさにこのことだった。





はい、ここから非常に個人的な話になります。
読んで字の如く。周りの友達が一気に彼氏を作り始めたのである。
とはいえ、いくら単細胞な私でもこのことがきっかけで「オタ卒して彼氏作ろう!」という考えにはなっていない。今までだって、仲のいい子に彼氏ができたことはあったし、その度に「いいな」と思ってきた。しかし、今回は羨望するレベルを超えた。一気に5人の友達がリア充に化けたのだ。ずっと一緒に頑張ってきたのに…。みんなでリア充を羨ましがりながら生きてきたのに…。よき仲間よきライバルとして頑張ってきたシンメがデビューしてしまったJr.と同じ(ような)気持ちだった。それだけならまだいいが、問題はここから。恋バナについていけない。「最近彼ピッピと会えてないから不安〜(>_<)」という言葉に「両想いで付き合ってるだけ良くない?」と返してしまったあたりから、私に相談されることはなくなった(当たり前)。
現実世界でも“蚊帳の外”になったのである。





  • オタ卒の練習を始める
ふと思った。

「ジャニオタだからいけないんだ!」

ここでようやく私の単細胞ぶりが発揮。ジャニオタだから、恋する乙女の気持ちが共感できないのではないだろうか。もちろん私も自担に恋する乙女だけど、ジャニーズの話を現実に持ち込むと引かれるのはここ数年で学んだ。オタの世界にも現実の世界にもついていけなくなった私は、ジャニオタの道ではなく友達と女子らしく生きる道を選んだのだ。
今までダラダラTwitterを開いていた時間を、録画していた月9を再生する時間にすることから始めた。彼女たちのようになるには、月9をみてキュンキュンして「このあいだの月9みた!?」という定型文を言わなくてはならない。「キラキラした女子=月9大好き」という異様な固定概念から始めた行為である。結論から言うと、これは全く効果がなかった。もともと少女漫画のような華やかな話は好きではなかったので、みんなが言うキュンキュンに共感できなかったのが理由である。しかし、このドラマをきちんと見るという行為には少なからず効果があった。
火曜9時から放送されていたサイレーンに出演していた松坂桃李と再会である。実は私は松坂桃李の顔がドンピシャで好きだ。誠実さと優しさがにじみ出ているあの顔+あの高身長。ミーハー女の私が好きにならないわけがない。松坂桃李と結婚してシチューを作る生活を夢見た中学生時代。Twitterで「松坂桃李」とつぶやきすぎて松坂桃李の本当のファンの方からリプがきたこともあったなぁ(めちゃくちゃ怖かった)。その時の熱い想いがドラマによって蘇ったのである。どうしよう…里見くんと半同棲生活したい…!と、すぐに妄想してしまう。ここがジャニオタである私の悪い癖だ。「付き合いたい」という妄想ではなく「付き合ってるんだけど」という体で話してしまう。これが仇となり友達から引かれることはしばしば。
それなのにまたやらかしてしまった。
松坂桃李とご飯行くと、絶対に私の左側に座るんだよね。ほら左利きだから、右利きの私と肘ぶつかっちゃうじゃん?」と、ありもしないことを真実を交えつつ言ってしまったのだ。妙にリアリティのある妄想のおかげで、私は数人の人間から気味悪がられてきた。しかし、松坂桃李の妄想を聞いた友達の反応はいつもと違った。

「うわ〜!リアル〜!ありそう〜!!」

え?

「やっぱり松坂桃李優しいんだ〜!」

あれ?

……この子達ノリノリだぞ。今まで散々「よくそこまで考えられるよね…」「ここまでくると気持ち悪い」と言ってきた子達が、主語が松坂桃李に変わっただけでキャーキャー騒ぎ始めたぞ。
そこで私は気づいたのだ。「俳優なら好きになっても誰にも咎められないじゃないか!!!」と。私の妄想癖は無意識に展開されてしまうものだったので、それを封印するのはなかなか難しいことだった。妄想が楽しくてジャニオタをやっていたところも一理ある。しかし、俳優でも妄想できると悟った今、もはやジャニオタでいなければならない理由がなくなったのだ。「なーんだ!ジャニーズ以外にもイケメンたくさんいるし、そっちのほうが生きやすいじゃん!」



  • 周囲にオタ卒を宣言する
ここまできたらもう流れに身をまかせるのみ。次の現場を最後にオタ卒することを宣言した。確かこれが11月下旬頃。もちろん、アルバム ラッキィィィィィィィ7を予約するどころか、買う予定すらない。なぜならオタ卒するから!(ドーン!!!)
私「私、次の現場入ったらオタ卒する」
友「えっ!?無理だと思う!無理に2億かける」
私は笑った。「うんうんそう言うと思っただけど今回は本気なんだよねもうアルバムだって買う予定ないし録画もバンバン消してるし」と早口でまくしたて、最後の決めゼリフ「彼らに投資しても自分になんの利益もないこと気づいちゃったから(笑)」までスラスラと言えた。今はこんなこと絶対に言えない。口が裂けても言えない。けれどこの頃は本気で思っていたのである。

(↑初めての報告が軽すぎる)

そして、オタ卒への最後の仕上げ、《家族への報告》をしたのだ。私の家族、いや私の母は、過去にジャニーズと一悶着あったのではないかと疑うほどジャニーズを毛嫌いしている。「親も好きだから〜」と言う2世代ジャニオタが心底羨ましかった。母がジャニーズ関連でお金を出してくれた事は一切ないし、むしろコンサート禁止令を出すくらいにジャニーズへ容赦がない。なぜそこまで嫌うのかは謎であるが、とにかく‘ジャニーズ’というのが嫌らしい。「お母さん佐藤健好きじゃん?」「うん」「もしもジャニーズになったらどう?」「嫌いになる(即答)」我が母親ながら、ここまで矛盾した人間を見たことがなかった。そんな母に私がジャニオタをやめることを伝えたら、歓喜で赤飯を炊くのではないかと思い、ドラマのCM中にさらっと言ってみた。
私「あのさ、私、ジャニオタやめるわ」
母「……ぇ?」
私「オタ卒します」
母「………………………」
私「ちょ、え、なに!?なんで!?」
この母の沈黙。からの私の動揺。察して頂けるだろうか。
母が泣いていた。
…いや、あの確かにね、お母さんがジャニーズ嫌いなの知ってたよ。ジャニオタやめてほしいって言ってのも知ってたよ。でもまさか泣くとは思わないじゃん??「ありがとうありがとう」って言いながら泣かれると、私が過去に相当やばいことをやってきたみたいになっちゃうじゃん???
母「一生ジャニオタでさァ、結婚もしないでさァ、稼いだ金全部ジャニーズに使うんじゃないかと思ってたからさァ(号泣)」
ここまで言われると、謎の罪悪感につつまれる。私はジャニオタというだけでこんなにも母を苦しめていたなんて考えもしなかった。確かに、自分の娘が私のような人間だったら心配にもなる。約7年間ジャニーズにしか興味を持たない娘をどんな気持ちで育ててきたのだろうかと思うと、胸が痛くなった。母のためにもここはジャニーズから足を洗おう。
このことがオタ卒しようという気持ちをより一層強めたのである。






あとは、ツアーで感謝の気持ちを込めつつペンライトを振り、自担を拝めて清々しくオタ卒するだけだ。



と思っていたのは、1月6日に横浜アリーナで行われたラッキィィィィィィィ7が始まる前までである。





  • ラッキィィィィィィィ7参戦
(1日の中で感情がどんどん変わるため細かく分類)

【朝〜開場】
オタ卒前提での参戦のため、今までは始発で会場まで赴き3時間以上並んで買い漁ったグッズも、今回は団扇しか購入しなかった。本当は団扇すら買わないつもりだったが、ペンライトも団扇も持たずに双眼鏡で凝視するのが許されるのは関係者位だと思い、9時ごろ家を出て会場へ向かった。グッズ列に並んでいても今までのような緊張感は全くなかったし、むしろ「あれ?今自分なにしてるんだ?」と思う時間があったほど。開演までの時間つぶしのために入った店の家具を見て色々妄想したのが1番楽しかった。

【開場〜開演】

席に座っても、まだコンサートに来たという実感がわかない。しかしセンターステージがど真ん中に見えるスタンド席だったため、テンションは上がっていた。周りを見回して誰担が多いのか確認するのも楽しかった。


【開演〜】

簡潔に言う。

オープニングで出てきた瞬間から「むりまってしぬ」状態。パリピポのペンライトを振りながら「あぁなんで私ペンライト買わなかったんだろう。」「なんで開演前もっとソワソワしなかったんだろう。」「こんな楽しいことやめられるわけねぇ!!」と思った。私はネタバレなど見ても大丈夫な人間なので、過去のコンサートはだいたいTwitterで流れてくるレポからセトリなどを把握し参戦していた。今回はそもそもTwitterと疎遠だったため、特に意識することもなくセトリやネタバレを知らずに入った。そのため、次の流れを予想しては、いい意味で裏切られ、「ここでこの歌出してくるか!」と、コンサートの演出自体をとても楽しめた。きっと、これが本来のコンサートの楽しみ方なのだろうが、私にとっては新鮮でずっと目を輝かせていたに違いない。

ありとあらゆる方々がコンサートレポを書かれているので、私は特に内容については触れないが、“あっという間”というのはコンサートへ行けばすぐに実感できる。本当にノンストップであっという間な2時間だった。自分の気持ちを表すのがとても苦手なのでうまく言えないが、とにかくオタ卒しようとしていた自分馬鹿野郎!最高に幸せで楽しくて、キラキラしてる彼らを目の前で見て、ジャニオタなんてやめようと思ってやめられるものじゃないんだ、と痛感したのであった。



【終演後】

「しんどい」

会場を出たあとの第一声がこれである。興奮を抑えきれず、横浜アリーナから駅前のCoCo壱までノンストップで「しんどい」を言い続けた。だって本当に楽すぎたんだもん(語彙力)!






何度も言うが私は本当にオタ卒しようとしていた。彼らに使っていたお金を自分にまわそうと考えてウキウキしていたし、浮いたお金で山﨑賢人のカレンダーを買おうともしていた。ぶっちゃけ少クラなんてもう何ヶ月もみてなくて、アルバムの曲もうろ覚えで入ったコンサートだ。それくらい彼らに興味関心が薄れていたのに、たった2時間ちょいのコンサートで、今までオタ卒しようとしていた数ヶ月を覆したのだ。生まれ持ってのオタク気質を今更封じ込めるなんて最初から無理な話だったのだ。

自分がどれだけ無駄なことをしてるのかは重々承知している。オタ卒しようとしていた期間、あふれ返るCDやDVD、もはや用途0の生写真をみて「なぜこんなに買っていたのだろう」「CDなんて一枚あれば充分じゃん」と心から思っていた。今もそれは思う。しかしそれを分かっていてもやめられないのだから仕方ない。楽しいからやめられない、以上の言葉は見つからないと思う。


きっと私はこれから何度も「いまならオタ卒できるぞ」「今度こそやめてやる」と思うだろう。

そんな私に言っておく。

私は絶対にオタ卒できないから無駄な抵抗はやめたほうがいい。ここまできてもオタ卒できなかったのだ。100%無理だと言っても過言ではない。



きっと私はこれからも神山智洋くんの団扇を振り続けるのである。